松葉

気が向けば書きます.

「アイドル」に「私達」は何を求めるのか

このブログは、
2018年1月27、28日に行われた
フェロ☆メン音楽朗読舞台『AnGeL fAlL』の内容、個人の感想を含みます。







まず冒頭で「アイドル」と書いていますが、これはアイドルがidol(偶像、崇拝されるもの)という英語に由来していることを念頭に置いてください。
ここでは日本で浸透しているアイドルと異なる意味で使っていることから「」を付けて表現しています。
また「私達」という表現を多用しますが、
「アイドル」と「私達」を個と全として対比させるためであり、あくまで私見です。
一部分を切り取ると、誤解を招く恐れがありますのでブログのスクリーンショット等はご遠慮ください。無断転載は固くお断りいたします。


結論から言うと、
「私達」が「アイドル」に求めることは、偶像に足る存在であること、だと思いました。

私はフェロ☆メンという声優ユニットに「アイドル」であることを求めました。
そして彼らが「アイドル」でいてくれることに、心の底から感謝しています。


フェロ☆メンとは
声優やナレーターなど声の仕事を本業とする諏訪部順一(黒)と鳥海浩輔(赤)によるユニット。
「エロティック貴族」をコンセプトにセルフプロデュース作品制作を行っている。
(公式サイト http://columbia.jp/pheromen/
より引用)


セルフプロデュース、ということもあってか舞台挨拶で諏訪部さんから
「やりたいことをやらせてもらっている。何かをやらされたり、ということは一切ない」
という主旨の言葉が出たとき、
私が「アイドル」に好意を好意的に受け取って欲しかったのだな、と実感しました。

「私達」は「アイドル」に好意を持っています。
「私達」は「アイドル」のことを知っています。「アイドル」が「私達」のことを知っているよりずっと多く。
私は、これが「アイドル」が偶像であるということだと考えています。
そしてそこには奇妙な非対称性があります。

「私達」は「アイドル」に好意を向け続けますが、
必ずしもそれが「アイドル」に歓迎されているわけではないのを心のどこかで知っています。
極端に言えば、犯罪行為と迷惑行為は、
好意を押し付けているという点では大差はないと思います。犯罪行為を正当化する意図はありません。

だから「アイドル」に「私達」が向ける好意を好意的に捉えてくれることに安堵するのだと思います。
「私達」は「アイドル」の言葉が自分に都合の良いものであれば、言葉の裏を読んだりしません。
意図して「アイドル」である人には、どうか偶像に足る存在であろうとしてくださいとお願いをしておきます。

姿は対照的ですが、
鳥海さんがどの作品にも同じテンションで向かっていることにも安堵しています。
「アイドル」に対してはプラスの感情で「私達」は情報を補完すると思っているので。

私がこの「アイドル」観を維持し、フェロ☆メンが偶像に足り続ける限り、
好意を向け続けたいと思います。


上の内容とは殆ど関係ないんですけど、
舞台『AnGeL fAlL』、すごく面白かったです。
2幕構成の舞台で、2幕目が3公演で異なるマルチエンディングでした。そしてその後、生歌『AnGeL fAlL』があり、
キャスト挨拶挟んで生歌『ラブソング』という作りです。
さっくりエンディング分岐は、
1公演目が、エンドA
2公演目が、エンドB
3公演目が、エンドA∩B
みたいな感じでした。

1幕は井上さん・鳥海さんが下手で、2幕で上手に移動していて、すごく全体を考えた作りになっていました。
寿命で救えない金の目、病気で救える赤の目、健康な青の目、の天使を表現するため
の照明が凝っていてすごかったです。
人生を砂時計に例えるとそれを照明で表現したり、お化粧をスモークと金テで表現したりとびっくりし通しでした。
会場の舞浜アンフィシアターを存分に使っている感じがしました。
舞台に幕がなく暗転にスモークを使うので会場は煙たいです。3公演目の驚異のマスク率は怖いぐらいでした。
場内アナウンスで何度も厳しい審査に通っています、と言っていたのが納得できるぐらい派手にライトと煙を使っていました。

1幕終わりで鳥籠に布をかけて夜を教えることを思い出しました。
2幕始めで鳥籠の中身が鳥ではなく何者かの心臓だったのだな、そんなことを感じさせる演出でこの幕間がとても好きでした。

細かな解釈というかもやもやする気になった部分もいくつかあったので。
脚本・演出の藤沢文翁さんが特定の宗教は参考にしてないとおっしゃっていましたが
医療の神のシンボルとしてアスクレピオスの名前がはっきり台詞にあるので
ギリシア神話の影響を受けているなとは感じました。
またなぜモノクルだったのか、モノクルである必要性が分からず、消化不良を起こしています。
タイトル『AnGeL fAlL』の大文字小文字の入り交じった理由も分からないです。これは良い感じだと思った、とフェロ☆メンに言われたら納得できる範囲ですが。

追記
https://twitter.com/MY_MURMUR/status/936198341385265152
諏訪部さんのTwitterで言及があったことに気付きましたので、引用させていただきます。
2018/5/7

そしてサラ・アッシュからサラ・アッシュフォールへの改名。タイトルと掛けてることは分かるんですが、掛けたことで何も見えてこなくて行き詰まってます。

オリコンニュースで全体が綺麗にまとめられていました。
https://www.oricon.co.jp/news/2104730/amp/?__twitter_impression=true

あとはキャストごとの感想を少し述べて終わりです。楽しい公演でした。

サラ役の能登麻美子さん。
奇跡の少女と呼ばれた、おっちょこちょいで優しい普通の少女を貫いてくださって、
格好良くて可愛かったです。
怒っていてもお医者様って様付けで呼ぶのが品があって、でもすごく怒ってるのが伝わって、それまでとのギャップが大きくて空気がびりびりした気がします。
「ここにはこんなに大勢のお医者様がいるのに、何もしなかったんですか」
そうサラが怒ったとき、まるで会場の観客が何もしない傍観者の医者のように見えてぞくぞくしました。マスクしてる人多いと目だけ光ってかなり怖く感じます。
あとダドリー先生に黒い服の訳を聞かれて、「似合いませんか」と返す声が
きちんと少し離れたところにいる人に呼びかける声ですごいなと思いました。
あと能登さんの衣装が可愛かったです、紫だけど。
能登さんの声可愛いし、触れようとする仕草も可愛いし、本当に可愛いの塊でした。
サラに「可愛い?」って聞かれたら即答してあげようよ、天使の2人。

ダドリー教授役の井上和彦さん。
1幕と2幕の語り部としての切替はすごいと言うほかなくて、そして3公演目の2幕も確かに変えられていました。
若いダドリー先生なのか、エマに語るダドリー教授なのか、執事なのか、瀕死の患者なのか、天使の器なのか。
思い返せば本当に1人だったのが信じられないぐらいです。
あまりに自然で、観劇中ちっともすごいなんて思いませんでした。そう思わせないところが、きっと本当にすごいんところなんだと今になって思います。
井上さんが立っているところには
たくさんの声もしゃべり方の速さもトーンもみんな違うキャラクターがそこで生きていました。
勝手な思いですが井上さんは噛まないんだろうなって思いました。ダドリー教授が、執事が噛むんです、きっと。
ダドリー先生の「まるで死神みたいだ」あと20回くらい生で聞きたいです。
3公演目「小説家にでもなったらどうだい」という台詞は予想外で、その分とても印象的でした。
挨拶の時にちょこんと座ってるの可愛いし、客席にピースしてくれるのも可愛いかったです。

工マニュ工ル役の中村悠一さん。
医者、ヤクザ、瀕死のチェスターマン、回復したチェスターマン……お芝居の引き出し多すぎて、釘付けになりました。
上手すぎる、もう本当になんというか演技が上手の一言に尽きると思います。
チェスターマンが「どこの大学で学位を授与されたのですか」とサラに迫るシーンで、手に汗握るような、はらはらするような緊迫感ある言葉回しが最高でした。
「それが、覚えているのだよ。試験場に向かうのが嫌で何度も何度も数えたのだからね」
台詞はうろ覚えですが、階段の数についてまくしたてるとき、なんとも心地よいリズム・ペースで、そして聞き取りやすく、皮肉たっぷりにそう怒鳴るように言ったのが、本当に耳に残っています。
「何度も何度も」そう言ったとき、チェスターマンは涙を流さずに泣いていたのだ、そんな気がしました。
フェロ☆メンの舞台じゃなければ、チェスターマン救済ルート欲しかったです。
科学の徒だって悪くないじゃない、そう思わせてくれました。
ヤクザが怒鳴るときも、冒頭でダドリー教授に「卵から孵ってひよっこになれて良かったですよ」と言い返すシーンも
とにかく中村さんの間の取り方が最高でした。

マラキア役の諏訪部順一さん。
天使なのに、すれた雰囲気が面白いキャラ設定でした。
1人に天使が1人(劇中で1人と数えていた気がするので柱で数えません)という決まりなのに、
どういうわけか1人(サラ)に2人の天使(マラキアとパクス)となっていました。
パクスと喧嘩するほど仲がよく、サラに「仲良く喧嘩しないで」と怒られる、
そんな関係でテンポよく2人で会話しているのが聞いていて楽しかったです。
マラキアが怒ったパクスを止めるのに、「怒ったり暴れたりするのは俺の専売特許だろ」と言うのが信頼の証のように見えて好きでした。
天界に呼びかけるときの声の圧が大きくて、心まで揺さぶられました。
千秋楽でフェロ☆メンの実質的プロデューサーの諏訪部さんが、話の着地点見つけられずうろうろ話をする姿、
本当にこの公演に全力を注いでくれたのだな、と思えて涙が溢れて止まりませんでした。

パクス役の鳥海浩輔さん。
パクスの性格はどちらかと言うと落ち着いていて、序盤は世界観の説明をひたすらしてくれました。
「僕達は普通の天使です」という台詞を聞いて、
この『普通』の立て方が鳥海さんっぽいと感じてなんとなく嬉しくなりました。
3公演目で「僕達のこと覚えていませんでしたね」そういう寂しそうな声が、心底好きで心臓に悪かったです。
キャスト挨拶は可愛かったです。
フェロ☆メンについて、「諏訪部さんにおんぶに抱っこの状態ですが感謝してるし尊敬してます」そんなニュアンスのことを言う前に
「普段照れて言えないからこの場をお借りして」と言うのが可愛かったです。
諏訪部さんのどう思う?って聞くと鳥海さんは良いと思うって返してくれるんですよっていういうエピソードを聞くと、
2人でユニットなんだなと実感して嬉しくて嬉しくて舞い上がっていました。
照明が当たってるときはずっと見てたのに、
思い出しただけで泣けて言葉が浮かびませんでした。
一言良かったです、とだけ書いて終えようかと思ったぐらいです。


どうしてこんな長い文章を書くことを思いたったのかと言えば、諏訪部さんから
「パッケージ(CDやDVDなど)にはパッケージの良さがある。最近はライブ回帰の傾向があるけれど自分はパッケージにこだわりたい」そんなコメントがあったからでした。

音声や映像というのは、時間と場所を選ばずに、謂わば出来事を保存しておくことができます。
もちろん音声は圧縮され低音は消えるし、映像はカメラワークによって
現実とは違うものを保存してしまうことは明白です。
それでもこれらの技術は、可能な限り出来事を正確に保存しようと生まれたでしょう。

それは言葉も同じです。
頭の中にある言語化できないものを言語化した段階で、それは正確なものとは言えません。
それでも何かを残さねばならないと思いました。保存するために。
だからこれは保存用です。

内容に同意してほしいわけではありません。
どなたかの脳内にバックアップを取ってもらえたらな、というそんな思いです。


長く支離滅裂な文章に最後まで目を通していただき、ありがとうございました。


今週のお題「私のアイドル」
2018/1/29

追記
蛇足ですが、どうしてDVDじゃなくてプレイボタンなのか考えていました。
そして手にとって、始めて眼鏡のレンズくらいの大きさだったんだと気付きました。
2018/5/7